東京地方裁判所 昭和50年(行ウ)98号〔1〕 判決 1988年3月24日
原告
株式会社商大自動車教習所
右代表者代表取締役
谷岡剛
右訴訟代理人弁護士
平田薫
同
久世勝一
同
香月不二夫
被告
中央労働委員会
右代表者会長
石川吉右衞門
右指定代理人
福田平
同
伊藤千鶴子
同
高田正昭
同
木村正敏
被告補助参加人
全国一般労働組合大阪府本部全自動車教習所労働組合
右代表者執行委員長
家田保
右訴訟代理人弁護士
河村武信
主文
一 被告が昭和五〇年六月一八日付で中労委昭和四八年(不再)第三七号事件についてなした命令中別紙(略)(一)記載の部分につき、原告の訴えを却下する。
二 その余の原告の請求を棄却する。
三 訴訟費用(補助参加によって生じた費用を含む。)は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が中労委昭和四八年(不再)第三七号事件につき、昭和五〇年六月一八日付でした命令中再審査申立てを棄却した部分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁(被告)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 総評全国一般労組全自動車教習所労働組合(以下「申立組合」という。)及び商大自動車教習所労働組合(以下「労組」という。)は、大阪府地方労働委員会に対し、原告を被申立人として不当労働行為救済の申立てをしたところ、同委員会は、昭和四八年五月一八日付で別紙(二)の如き命令(以下「初審命令」という。)を発した。
原告は、右初審命令を不服として、被告に対し、再審査の申立てをしたところ(中労委昭和四八年(不再)第三七号事件として係属)、被告は昭和五〇年六月一八日付をもって、初審命令を一部変更して別紙(三)のとおりの命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令書の写は昭和五〇年八月七日原告に送達された。
2 本件命令中、原告の再審査申立てを棄却した部分については、次のとおりの違法があるから取り消されるべきである。
(一) 本件命令の名宛人について
(1) 申立組合について
申立組合は、昭和五二年五月一二日原告内の組合員を全て除名したので、原告従業員には申立組合の組合員は存在しない。したがって、本件命令は、存在しない者に金員の支払いを命じている点において違法があり取り消されるべきである。
(2) 労組について
労組は、昭和五一年一月一九日解散して存在しないのであるから、本件命令は、存在しない者を名宛人とした違法があり、取消しを免れない。
(3) 中口忠久について
本件命令は、中口忠久(以下「中口」という。)に対する昭和四七年六月二九日付譴責処分は不当労働行為に当たるとして、右処分をなかったものとして扱えとする初審命令を維持しているが、中口は、既に原告を退職し、また、中口の属していた労組も右のとおり解散して消滅したので、本件命令中右の部分は全く法的意味を失ったものであって、取り消されるべきものである。
(二) 事実誤認、法令適用の誤りについて
(1) 本件命令書の理由「第一 当委員会が認定した事実」欄記載の事実についての認否及び反論
<1> 1(当事者等)の事実は認める。
<2> 2(昭和四七年春闘における団体交渉をめぐる労使間の事情)の(1)の事実のうち、労組が原告内に存在する申立組合の分会(以下「商大分会」という。)と共闘するなどを掲示したことは否認し、その余は認める。
同(2)の事実のうち、原告が両組合(商大分会及び労組をいう。以下同じ。)の団体交渉の申入れに応じなかったこと、両組合が地方労働委員会に団体交渉再開について斡旋申請をしたことは否認し、その余の事実は認める。両組合が斡旋申請をしたのは、団体交渉開催についてではなく賃上げなどについてであり、また、昭和四六年五月一一日以降両組合から団体交渉の申入れはなかったのである。
同(3)の事実のうち、両組合が団体交渉問題を地方労働委員会で解決したい、との態度を文書で表明したことは否認し、その余の事実は認める。昭和四六年五月二五日の両組合からの文書は、賃上げなどについて地方労働委員会に斡旋申請をしたので応じよ、という趣旨であった。
同(4)の事実のうち、両組合の妥結通知に対して、原告は、団体交渉が行われていないので妥結していないとして、両組合には支給しなかったことは否認し、その余の事実は認める。
同(5)の事実は認める。
<3> 4(組合活動による不就業の取扱い)の(1)ないし(4)の事実は認める。
<4> 5(時間外労働および休日労働をめぐる経緯)の事実は認める。
(2) 原告の主張
<1> 商大分会員ら(以下、単に「分会員ら」という。)の時間外勤務について
分会員らは、昭和四七年四月一四日から同年六月一五日まで時間外労働等に従事しているが、これは以下の事情によるものである。すなわち、
昭和四五年三月ころ、原告は、所定時間内勤務に関する二部制とそれを補完するものとしての時間外労働という勤務体制を全従業員に発表した。これは、当時、原告の所定時間内勤務は一律に午前一一時二〇分から午後八時二〇分までであったもの(一部制)を、同時間帯の遅出組と午前八時二〇分から午後五時二〇分までの早出組とに分け一定周期で交替するという勤務態様(二部制)にし、それを補完するものとして時間外勤務を位置づけたものである。このような勤務体制を採用するに至ったのは、この体制によって、所与の設備(コース、教習車両等)と労働力を一二分に活用して営業効率を向上させ他教習所との競争に勝ち残るとともに従業員の待遇改善を図ろうとしたためであった。そこで、原告は、この勤務体制を労組及び商大分会に対し等しく提案し、協議し、団体交渉を行った。右原告の提案に対し、労組は合意に至ったものの、商大分会は絶対反対という非妥協的な態度の故に妥結に至らなかった。そのため、原告は、分会員らに関し、所定時間内勤務については、既存の所定時間内勤務である二部制の遅出組に組み入れることにし、時間外労働に関しては、二部制に反対する分会員らには、二部制を前提とする時間外労働は命じないことにした。ところが、大阪地方労働委員会は、昭和四七年三月三一日、不当にも、分会員に時間外労働をさせなかったことが不当労働行為に当たるとして、原告に対して所定時間内勤務はそのままで時間外労働をさせよ、という趣旨の命令を発した。この命令について、原告は、被告に対し、再審査申立てをして争うこととは別に、やむを得ず一応命令に従い同年四月一四日から分会員にも時間外労働をさせることにしたのである。
以上のように、原告は労働委員会の不当な命令の故に時間外労働を命じていたのであるから、原告としては、いつにても不当な拘束に抗して、本来の態度に立ち返り、二部制を受け容れていない分会員らに対しては、そのままでは時間外労働をさせないという扱いに戻しても、何ら不当労働行為として問責されるいわれはないのである。
<2> 商大分会及び労組と原告との間に、時間外労働及び休日労働に関する労働基準法三六条の協定(以下「三六協定」という。)が締結されなかったのには以下の事情があるためである。すなわち、
昭和四七年四、五月頃原告と両組合との間で行われた団体交渉において、交渉が就業時間内に食い込んだり、著しい喧噪状態となったため、団体交渉の行われた小会議室の隣で行われていた学科教習の授業に支障をきたす等業務の運営が阻害され、しかも外部の労働組合員ら四〇名を超える多数の支援者が押しかけて所長等をつるし上げるといった事態が発生した。そこで、原告は、今後そのような事態が発生することを避け、平穏かつ円滑な、そして正常な団体交渉を確保するために、団体交渉の場所を教習所外に設けるとともに、団体交渉の時間や出席者数についても合理的な基準に則った双方の納得できる取り決めをすべきであると判断し、同年五月二三日、商大分会及び労組に対し、原告の当初の提案として、場所については施設外とすること、時間については就業時間外を原則として二時間以内とすること(超過する場合には次回継続)、出席者については、組合側五名以内、原告側四名以内で夫々権能を有する者であること、という趣旨の提案をした。これに対して、両組合は、条件を全面的に白紙撤回して団体交渉に応ぜよという主張に固執したため、団体交渉を開くに至らなかったのである。こうした中で、原告が両組合と締結していた三六協定は同年六月一五日をもって期限切れとなるので、原告は、両組合に対し、同年六月五日及び一五日の二回にわたって、新協定締結のため団体交渉をしたい旨申し入れたが、両組合は団体交渉の場所や持ち方に関する右主張に固執したため団体交渉を持ち得ず、結局新協定が締結し得ないまま協定は失効し、両組合の組合員には時間外労働等を命じ得ないこととなったのである。その後、原告と両組合とは、大阪府地方労働委員会公益委員からの進言等もあって、同年九月一六日、新協定を締結し、同日以降両組合員も時間外労働に従事するようになったのである。
このように商大分会及び労組が多数の者を団体交渉に押しかけさせて不当な大衆団交を行おうとしたり、喧噪な状態を作り出して業務に支障を与えたりしたため、原告は団体交渉の合理的な基準を示して提案したのであり、それにもかかわらず、両組合は無制限で行うべきであるとの主張に固執したのであって、原告と両組合との間で団体交渉が持たれ得ず、ひいては三六協定が締結され得ず、結果として、原告は、両組合員に対して、時間外労働を命じ得なかったのである。してみれば、このような原告の措置が不当労働行為として問責されるいわれはないのである。
なお、本件命令は、両組合から原告に「職組と会社が締結した内容と同条件で時間外労働などをする」旨通告したにもかかわらず、原告が時間外労働をさせなかった旨判断しているが、右「通告」は具体的内容のない時間外労働をやってやるとの一方的な意思表示にすぎず、また、職組との協定は従前のものとは内容的に大きく変っているので、各具体的条件について確認することなしに、組合側の通告のみで単純に実施し得るものではなかったのである。現にその後昭和四七年九月一六日締結された三六協定についても、両組合が職組と原告とが締結した協定のうち自己の都合のよいところだけを取り入れたもので、同一内容ではないのである。この点においても、本件命令は判断を誤っている。
<3> 裁量の誤り
本件命令は、時間外労働及び休日労働の手当相当額の支払いを命ずるに当たって「過去三ケ月の時間外労働などの実績を基礎にして」「昭和四七年六月一五日以前三カ月間の時間数の月平均とする」初審命令を相当と判断しているが、過去三か月とは、昭和四七年三月一五日から同年六月一五日までのことであり、この三月、四月、五月、六月と七月、八月、九月の過去の実績を比較すると、八月、九月は夏休みなどの休みが集中して稼働日数が少ないこと(例えば、分会員の場合四月は二五日であるのに対し八月は一五日である。)、また、七月から九月は他の月に比べて、暑さのために時間外労働が大巾に減るのであって、このような過去の実績を無視した本件命令は、分会員、労組員に実績の倍程度の救済を認め、また、第三組合である職員組合の組合員の現実の労働に対して支払われた手当を上回り、同組合を逆差別するものであって、裁量の範囲を逸脱している。
<4> 中口に対する譴責処分について
本件命令は、中口が離席の許可を求めるための努力をしている、組合活動による離席の事前承認手続きが必ずしも厳正に取り扱われていなかったこと、同様に離席した秋田忠義に対しては警告で済ませていることを理由に、中口が離席したことについての同人に対する譴責処分が不当労働行為に当たると判断しているが、右認定は次の点で誤っている。すなわち、
中口は、昭和四七年六月一三日当時、組合活動を理由とする離席の場合の届出窓口が人事課長藤原繁勝であることを熟知しており、また、事前に二〇分の時間的余裕があったことからすれば、中口としては右藤原繁勝を探し、届出をすべきであるのにこれをしていないのであるから、許可を求めるための努力をしたとはいえない。また、事前の承認手続については、専任課長(労務担当)を新たに任じ、従来の取扱いを是正し、厳しい手続きを定めるに至ったのであるから、まさに厳正に取り扱われていたのである。さらに、秋田忠義との対比については、秋田忠義の場合には時間外からの組合活動による遅刻の事前手続の問題であり、職場離脱の問題である中口の場合とは同一視することはできないのである。
以上のとおり被告の判断は誤っているので、本件命令は取り消されるべきである。
3 よって、原告は本件命令の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否(被告)
請求原因1の事実は認め、同2の事実のうち、労組が昭和五一年一月一九日解散し、中口が既に退職したことは認め、その余は争う。
本件命令は、適法に発せられた行政処分であって、処分の理由は、別紙(三)本件命令書中の理由欄記載のとおりであって、認定した事実及び判断に誤りはない。
三 被告の主張
(一)原告の、申立組合員は原告内にいないとの主張について
申立組合は、昭和五二年五月一二日以降事実上分裂し、総評全国一般労組大阪地連全自動車教習所労働組合という同一名称を唱える家田保を執行委員長とする補助参加人組合と、杉岡克己を執行委員長とする組合(以下「杉岡組合」という。)の二つの組合が生まれ、そのうち商大分会を下部組織に持つ補助参加人組合は、昭和五五年一一月七日現在の名称に変更したものである。そして、本件命令で不当労働行為と認められた差別扱いを受けた労働者はすべて分会員であり、その商大分会は補助参加人に所属していることからすれば、実質的にみて、補助参加人が名宛人というべきであり、原告内に名宛人たる申立組合が存在しないとはいえない。
(二) 救済方法の誤りについて
本件の如き時間外労働等をさせなかったことが不当労働行為であると認められた場合の救済方法として、本件命令の維持した初審命令の如く過去の実績を基準として時間外労働等の手当相当額の支払いを命ずる方法をとるか、あるいは他の可能な方法をとるかは、諸般の事情を勘案して労働委員会の裁量に委されているものというべきであるから、その結果が原告主張のようになるとしても、その一事をもって本件命令が違法とされるべきものではない。
四 補助参加人の主張
(本件命令の名宛人について)
本件命令の名宛人は補助参加人であり、原告内に存在するのである。このことは以下の事実から明らかである。
(一) 本件命令の名宛人は申立組合である。ところで、その名称のうち「総評全国一般労組」は全国単産としての所属を示し、「大阪地連」はその地方における上部団体を示しているにすぎず、全自動車教習所労働組合が組織単位として独立した法人格を有するものであって、同組合が救済申立てを行ったのである。
(二) ところで、本件命令は実質的に商大分会の団結権侵害を問題としているのである。すなわち、
(1) 全自動車教習所労働組合は、業種別に組織された労働組合であり、主な加盟形態は企業別団体加盟であって、その企業別の団体は分会を構成している。そして、分会は、当該企業との間で団体交渉を行うことはもとより、合意したところに応じて、分会名義で協定書を締結し、分会単位で争議を行うことも稀ではないのである。
(2) 本件についてみれば、本件命令は、商大分会に対する侵害、分会員らの蒙った不利益について原状回復を命じて救済を図っているのであって、本件命令の実質上の名宛人は商大分会といえるのである。
(三) 申立組合は、昭和五二年二月から六月にかけて事実上の分裂状態となったが、補助参加人組合こそが申立組合と同一性を有する労働組合である。すなわち、
(1) 分裂の経緯
全自動車教習所労働組合とその上部団体である総評全国一般労組大阪地方連合会は、昭和五二年二月から六月にかけて事実上分裂した状態に陥ったが、これは、全自動車教習所労働組合の南大阪自動車教習所分会の事業所閉鎖に伴う全員解雇に関する争議の解決方法をめぐる意見の対立を契機としたものであった。右意見の対立が表面化し始めた昭和五一年一〇月当時、申立組合の杉岡克己らの多数派は、意見の相違する分会、執行委員、組合員に対し組合規約にない組合活動上の排除措置を採り、同五二年二月からは、該当分会や組合員の組合費を受領しないという権利停止ないしは除名処分に相当する措置を採った。そして、杉岡克己を長とする多数派は、同年五月一二日組合規約を全く無視して「臨時大会」なるものを召集して、規約を改正するとともに、意見の対立する者八七名を除名する旨の決議をしたのである。「除名」された八七名は、多数派が臨時大会において「改正」の名のもとに規約を制定して、従来の申立組合を集団脱退したものと理解し、多数派によって「除名」されなかった五名を加え、九二名をもって同年六月二三日再建大会を開き、新執行部を選出するなどして、従来の規約にのっとり、活動を開始したのである。こうして、申立組合は、補助参加人組合として同一性を維持しつつ再建されたのである。
(2) 補助参加人は、本件命令の名宛人である申立組合と同じ構成員で組織され、同じ規約を有し、活動方針についても重要な基本的部分において共通した方針を堅持しているのである。因に、杉岡克己を代表者とする全自動車教習所労働組合は、組合規約を法外組合となるべく改めるなど四〇余点にもわたって改め、執行部の権限を強化し、一般組合員の権利保障を後退させた集権的で非民主的な組合となっているのである。
(四) このように、本件命令の実質的な名宛人は商大分会といえるのであって、その商大分会が補助参加人組合に属していること、申立組合の分裂状況、申立組合と補助参加人組合との規約等の同一性からすれば本件命令の名宛人は補助参加人組合といえるのである。
第三証拠(略)
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 当事者
1 原告が肩書地において自動車運転免許証取得のための技能指導を行う自動車教習所を経営し、被告審問結審時その従業員数が約五〇名であったことは当事者間に争いがない。
2 申立組合が、被告審問結審時、大阪及び京都府下の自動車教習所の労働者で組織され、その組合員数が約六〇〇名であったこと、申立組合の原告内の下部組織である商大分会が原告の従業員六名でもって組織されていたことは当事者間に争いがない。
ところで、原告は、申立組合は本件命令後である昭和五二年五月一二日分会員六名を除名したので、原告内には申立組合は存在せず、したがって、本件命令は取り消されるべきであると主張するので、この点について判断する。一般に救済命令等の取消訴訟では、不当労働行為の成否に関する事実認定及び法解釈並びに救済の必要性についての判断は、救済命令が発せられた時点(処分時)を基準としてその適否を判断すべきものである。したがって、命令後の事情変更は訴えの利益の問題として考えられるのであって、原告の右主張は本件命令の取消事由の主張とは成り得ない。そして、本件命令は、原告が申立組合の下部組織である商大分会の分会員らについて昭和四七年六月一五日から同年九月一五日の時間外労働等を拒否したことに対する救済として分会員らに時間外労働等相当額の支給をなすべき旨命じているのであって、申立組合が現に原告内に従業員としてとどまっている分会員らを除名したことによって、原告に一度発生した分会員らに対する右相当額の支払いという公法上の義務が消滅するとはいえないから、なお原告には本件命令の取消しを求める訴えの利益が存在するものというべきである。
3 労組が、被告審問終結時原告の従業員四名で組織されていた労働組合であり、全国交通運輸労働組合総連合関西地方本部に加盟していたこと、労組は昭和五一年一月一九日解散し消滅したこと、労組組合長中口も既に原告を退職したことは当事者間に争いがない。
ところで、原告は、労組が本件命令後に消滅しているのであるから、本件命令は取り消されるべきであると主張するので、この点について判断するに、前示のとおり命令後の事情変更は訴えの利益の問題として考えられるのであって、右主張自体取消事由の主張とは成り得ない。そして、本件命令中金員支払いを命ずる部分は当時原告の従業員であった労組員に対する支払いを命ずるものであるから、原告主張の如き事情変更は、原告の公法上の義務を消滅させるものではなく、原告に本件命令の取消しを求める訴えの利益はなお存在するものというべきである。
次に、原告は、中口は本件命令後原告を退職し、また、労組も消滅しているので、本件命令が維持した初審命令中中口に関する部分は取り消されるべき旨主張するのでこの点について判断するに、これら事情はいずれも命令後の事情の変更を理由とするものであって、それ自体命令の取消事由に当たらないこと前同様である。ところで、本件命令の維持する初審命令は中口に対し譴責処分がなかったものとして扱うよう命じているのであるが、右のとおり中口は既に退職し労組も消滅していること、中口が退職するまでの間に同人が原告から譴責処分に基づき何らかの不利益を受けたとの事情もみられないことからすれば、中口に関する命令部分は、その命令を求める基礎は既に失われて拘束力を持ち得ず、原告の本件命令に基づく公法上の義務も消滅したものと解されるので、原告に右命令部分の取消しを求める訴えの利益は消滅したものというべきである。
4 なお、原告内には、商大分会、労組の外昭和四七年五月二七日労組から脱退した原告の従業員で結成された商大自動車教習所職員組合(以下「職組」という。)があることは当事者間に争いがない。
三 時間外労働等について
原告は、原告が分会員や労組員に対し時間外労働等を命じなかったのは、両組合が原告の提示した団体交渉のための正当な条件を拒否したために三六協定締結のための団体交渉が出来なかった結果にすぎず、また、特に分会員については、時間外労働を命ずる前提である二部制に反対しているので分会員に二部制を前提とした時間外労働を命ずることは出来ないのであるから、いずれにしても何ら不当労働行為に当たらないと主張し、被告の認定判断を争うのでこの点について判断する。
1 (証拠略)を総合すると次の事実が認められる。
(一) 昭和四七年春闘における団体交渉をめぐる労使間の事情
(1) 昭和四六年五月、各自動車教習所単位の労働組合の共闘をめざす大阪地方自動車教習所労働組合共闘会議が発足し、商大分会及び労組もこれに加わった。
商大分会と労組は、昭和四七年三月一〇日及び同月一三日原告に対して春闘の共通要求として基本給一律一万八五〇〇円の賃上げ等の要求書を提出した。商大分会と労組は、各別に原告との間で団体交渉を行ったが、交渉に多数の支援者が参加したり、予定時間を超えたり、時には喧噪状態となったりした。これら団体交渉は就業時間外に施設内で行うようにしていたが、右のような事態のため、実技教習のための配車を変更せざるを得なくなったり、学科教習中の教室に団体交渉の声が響くなど教習業務に支障を来すこともあった。
(2) こうした中で、商大分会は、同年五月一一日午前九時から原告との間で団体交渉を予定していたが、原告は、その直前に雄谷治男所長の病気を理由に団体交渉の延期を申し入れてきた。この申入れを受けた分会及びその支援者らは延期に納得せず、原告の態度に抗議するとともに、団体交渉の開催を強く要求した。その結果、同日午後二時から団体交渉が行われたが、原告側出席者が四名であるのに商大分会側は支援者らを含めて約四〇名が出席した。また、団体交渉では、商大分会側が交渉の遅延した理由を追及したり、支援者に対する賃金の補償を要求したりしたため内容の交渉に入ることなく約四〇分で打ち切られた。
なお、労組は、同月一六日ストライキを含む争議体制に入ることを決定し、その旨掲示した。
(3) 原告は、同月二三日、商大分会及び労組に対して、今後の団体交渉開催には団体交渉ルールの確立が前提条件であるとして、次のような団体交渉ルールの確立に関する申入れを文書で行った。
<1> 団交案件を特定すること。企業の立場を否定しあるいは企業に処理権限のない案件は対象としない。
<2> 時間を定めること。時間外を原則とし、二時間以内とする。時間を超過する場合は打切り次回継続とする。
<3> 場所の指定。教習所の目的を損うことなく十分に交渉できる場所を教習所施設外に指定する。
<4> 交渉人員。組合側五名以内、教習所側四名以内で権能を有する者とする。
この申入れに対し、商大分会及び労組は、同月二五日付文書で、今春闘を平和的かつ円満に解決する途として大阪府地方労働委員会にあっせんを申請しているのでその場で解決したい旨、また、同年六月七日、九日、一〇日付文書でそれぞれ、団体交渉に際しては一切の条件を付することなく速やかに団体交渉を行うよう原告に申し入れた。右のような商大分会及び労組の対応に対し、原告は、同年六月九日両組合に対し、春闘要求については数次の団体交渉で具体的に回答している旨、また、団体交渉については、交渉ルールの確立について両組合の保証が得られれば早期に開催するので交渉ルールに関し文書で回答して欲しい旨回答した。
そして、原告及び両組合は、それぞれの基本的条件を堅持したため、団体交渉は開かれなかった。その後、団体交渉開催のための予備折衝が原告と分会及び労組との間で行われ、原告から交渉人員は五名程度とするといった譲歩もみられたが、結局、効を奏しなかった。
なお、原告は、同年八月三一日には、商大分会及び労組に対し、更に細かな団体交渉ルールの条件を付加して提示したりもした。
(4) ところで、昭和四四、五年当時の商大分会と原告との団体交渉は、商大分会側二名のことも分会員全員の六名でなされたことも、更には交渉人員が二、三〇名に及ぶこともあった。また、団体交渉の時間は、就業時間外二時間程度であり、延長されることもあったし、さらに、場所も昭和四六年から施設内で行っているものの、それ以前は施設外で行っていた。
(二) 時間外労働等をめぐる経緯
(1) 原告は、昭和四五年三月、就業時間を、今までの午前一一時二〇分から午後八時二〇分までとする態様の外に、午前八時二〇分から午後五時二〇分までとする態様を作り、前者を遅出組、後者を早出組として、一定周期で交替する二部制を導入する中期経営方針を打ち出した。こうした原告の方針に対し、労組との間では合意に達したことから、原告と労組との間では二部制を前提とした三六協定が締結された。ところが、商大分会は、原告の提案する二部制に反対したため、分会員には二部制を適用することなく、従来の就業時間である遅出組に組み入れられることになった。ところで、原告は、時間外労働等は二部制を適用してはじめて命じうるとの立場から分会員らにはこれらを命じなかったところ、商大分会は、原告が時間外労働等を命じないのは不当労働行為に当たるとして大阪府労働委員会に対し、原告を相手方として、救済申立てを行った。そこで、同委員会は、原告が分会員らに対して時間外労働を命じないことは不当労働行為に当たるとして、時間外労働を命じなかった期間について時間外労働をしたならば受け得たであろう相当額の支払いを命ずる等の救済命令を発した。命令を受けた原告は、右命令に対して不服申立てを行うとともに、右命令に仮に従うこととし、昭和四七年四月一六日ころ、商大分会との間で時間外労働等について協議した。そして、協議の結果、商大分会と原告は、分会員が、労組と締結した三六協定と同一内容で時間外労働等を行うことで合意に達し、確認書を取り交して三六協定を締結し、同日から時間外労働等を行うようになった。
(2) このように労組及び商大分会と原告との間にはそれぞれ三六協定が締結されていたが、その協定の有効期限が昭和四七年六月一五日までであったことから、昭和四七年六月には新たな三六協定を締結する必要が生じていた。なお、商大分会及び労組は、昭和四七年春闘において、時間外労働等の割増率の引上げを要求しており、新たな三六協定の締結は割増率引上げの団体交渉の中で交渉することを予定していた。
ところが、原告と商大分会及び労組との団体交渉は、昭和四七年五月以降前記のとおり開催されなくなったことから、原告は、同年六月五日商大分会及び労組に対して三六協定の適正な運用をはかるため新しく改訂実施したいが、その協定は同年五月二三日付の団体交渉のルールの確認に関する申入書の趣旨の下にルール確認を基調として交渉の上合意を得て実施したい旨文書で申し入れた。この申入れに対し、商大分会及び労組は、同月八日付文書をもって三六協定の案を提示して欲しい旨申し入れたが、原告は、案を提示することなく、かえって同月一二日付文書で商大分会及び労組に対し、同月一五日の期限切れ以降は時間外労働等を指示できなくなるので、新三六協定に関し団体交渉を開催したいのであるが、同年五月二三日付団体交渉ルールの確立に関する申入書に同意が得られれば、早急に日時場所等を設定したい旨申し入れた。
(3) この間、原告は、同年六月一〇日職組との間に新三六協定を締結して東大阪労働基準監督署に届け出た。
(4) 商大分会、申立組合及び労組は、時間外労働等が出来なくなることを危惧し、原告と職組との間の三六協定を調査したうえで、同月一五日、原告に対し、それぞれ、本来正常な団体交渉によって協定すべきであるが、低賃金の中で生活を維持するためには時間外労働もやむを得ないので正常な交渉による協定に達するまでの間不本意ながら職組が締結した内容と同条件で時間外労働等をする旨文書で通告した。しかし、原告は、同日、申立組合及び労組に対し、同月一六日以降は新三六協定が締結されるまで、改訂される時間外労働等は指示されないことになる旨通告し、同月一六日以降分会員及び労組員に時間外労働等をさせなかった。
(5) その後、原告は、本件審問の過程において、大阪府地方労働委員会の委員からの示唆もあり、昭和四七年九月一六日商大分会及び労組に対し、職組と締結した三六協定と同一内容の三六協定案を提示し、両組合はこれを受け入れ、新三六協定は団体交渉を経ることなく締結され、同日以後、原告は、分会員ら労組員にも時間外労働等を命ずるようになった。
2 以上の事実を基礎に検討する。商大分会及び労組と原告との間の三六協定は昭和四七年六月一五日をもって効力を失うところ、原告は、新たな三六協定は団体交渉によって締結するものであり、しかもその団体交渉については団体交渉のためのルールが確立される必要があるとして、交渉のための条件を堅持しているのである。そこで、原告のかような態度についてみるに、まず原告の主張する団体交渉ルールの確立の点であるが、昭和四七年春闘において商大分会あるいは労組との団体交渉のために教習業務に支障が生じたことからすれば、原告が団体交渉に何らかの合理的な制限を設けることを希望することは首肯しうるところである。そこで、原告の堅持する条件について検討するに、まず団体交渉の場所を施設外とすることは教習業務への影響や以前は施設外で行われていた経緯からすれば、団体交渉の場所への移動等について組合側に特段の不利益を与えないものであれば合理的な条件といえよう。次に、交渉時間について、原告は、就業時間外二時間、二時間を経過したときには継続とする条件を堅持しているところであるが、就業時間外に行うことは従前の経緯からも合理性があるといえるとしても、常に二時間として打切る態度は団体交渉の進展状況を無視することにもなりかねず、必ずしも合理的なものとはいえない。また、交渉人員の制限についても、喧噪等により教習業務に支障を及ぼした前認定の事件は、一過性のものと見られ、直ちに五名にしなければならない特段の合理的な理由も認め難い。してみると、原告がかような条件に固執すること自体に十分な合理性は認められない。次に、原告が団体交渉によって三六協定を締結することに固執することについてみるに、既に昭和四七年六月一五日申立組合及び労組から通告書という形ではあるにせよ時間外労働をする意思を明らかにし、暫定的に職組との間で締結された三六協定と同一内容で時間外労働をする意向を示していること、商大分会及び労組と原告との間に同年九月一六日に三六協定が締結されたが、それは職組との間に締結された三六協定と同一内容であり、団体交渉も経ていないことからすれば、原告の三六協定の締結は団体交渉によらなければならないとの態度には合理性がないものといわざるを得ない。このようにみてくると、三六協定は団体交渉によらなければならない、しかも団体交渉を行うには条件に同意してもらう必要があるとの原告の態度には合理性があるものとはいえず、むしろ原告としては、三六協定の締結がなされないことを理由に分会員や労組員に時間外労働をさせず、そのことによって両組合員らに経済的不利益を与え、両組合及びその共闘体制の弱体化を図ったものといわざるを得ず、これらの行為を不当労働行為と認定判断した本件命令に誤りはない。
ところで、原告は、商大分会にも救済命令を尊重して時間外労働等をさせていたが、二部制に商大分会が反対する以上分会員に時間外労働等につかせなくとも本来何ら不当とはいえない旨主張する。そして、前認定のとおり、商大分会と原告との間に昭和四七年四月一六日三六協定が締結されたのは、救済命令が契機となっているものと推認されるが、他方、分会員らは二部制の下では遅出組に組み入れられて時間外労働等を行ってきたものであり、その間分会員らが二部制に反対し、早出勤務をしなかったからといって、そのために原告業務に特段の不都合を与えたことも認めるに足りないこと、原告は、昭和四七年六月当時、分会員に時間外労働をさせない理由として掲げていたのは、団体交渉ができず、そのために三六協定が締結できないということであり、原告の右主張の如き理由はこれを理由として掲げていないこと、さらに、原告の右主張の如き理由は、昭和四七年九月一六日原告と商大分会との間で三六協定が締結された際に問題とされた事情も認められないことからすれば、原告としては分会員が二部制に反対していたとしても、時間外労働等をさせるうえで特段の不都合もなく、また二部制に同意しなければ時間外労働をさせられないという関係に立つものともいえないのであるから、原告の右主張は理由がない。
3 以上のとおり、原告の主張は理由がない。
四 裁量権の逸脱ないし濫用について
原告は、被告が維持した初審命令中の時間外労働等の手当相当額の算出方法は従来の実績からして通常得られる額の倍額もの支払いを命ずることになるから裁量の範囲を逸脱した違法がある旨主張するのでこの点について判断する。労働委員会は、救済命令を発するに当たって不当労働行為を受けた労働組合や組合員に対しその救済を図るため、原状回復を図るとともに、健全な労使関係を築くため相当と認められる方法を採り得るのであって、その裁量の範囲は広範囲に認められるところ、原告の主張の如く、初審命令による手当相当額が、過去の実績からして通常当該月に得られる額の二倍の額の支払いを命ずることになるとしても、そのことのみをもって労働委員会の裁量の範囲を超えたものということはできず、また、他に裁量権の濫用を認めるに足りる事情もない。
よって原告の右主張は理由がない。
五 以上のとおりであるから、原告の請求中本件命令中の別紙(一)の部分の取消しを求める部分は訴えの利益がないのでこれを却下することとし、その余の部分については理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用(補助参加によって生じた費用も含む)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 白石悦穂 裁判官 納谷肇 裁判官遠山廣直は転官のため署名捺印できない。裁判長裁判官 白石悦穂)
(別紙(一))
被告が昭和五〇年六月一八日付で中労委昭和四八年(不再)第三七号事件についてなした命令において維持した、大阪府地方労働委員会が昭和四七年(不)第四二号事件についてなした昭和四八年五月一八日付命令中の次の部分
「被申立人は、中口忠久に対し、昭和四七年六月二九日づけの譴責処分がなかったものとして取り扱わなければならない。」